中日戦争(さらに手直ししました※エグイ内容なので閲覧注意)

※この作品は作者の独断と偏見によるシミュレーション戦記です。実際の人物、国、民族は関係ありません。

 前回はこちら

hatoyabu01.hatenablog.com

 

f:id:hatoyabu01:20201207192151j:plain

■203×年 中日戦争

 日本では長引く不況の最中、西日本大震災や富士山の大噴火からの復旧に追われていた。相次ぐ復興増税と緊縮財政に国民の不満は高まり、政局は混乱を極めていた。政権は野党連合が握っており、共産党の四井書記長が首相の座についていた。この頃地方では法蓮前政権が施行した外国人参政法により中国籍の知事や市長の誕生が相次いでいる。イデオロギーに拘った法人税増額で雇用状況は一向に改善せず、海外移転やAIの導入によりさらに減った就職口を日本国民と外国籍住人が取り合う形になっている。約束していた消費税撤廃は財政健全化を理由に見送られ(それどころか逆に増税し)、再エネ100パーセントを実現するために新たな環境税を国民に課していた。国民は団塊世代の多くが亡くなり、貧窮による自殺者と毎年のように現れる新たな感染症による病死者の増加によって人口減少が顕著となっている。

 琉球独立宣言

 ある年、米国から日米同盟の見直しが打診され、かねてより四井政権が求めていた沖縄や国内の米軍基地の大部分の返還が決まる。この時自衛隊基地の日米共同利用が提案されるが、四井は頑固として拒否し、撤収の前倒しを要求して「思いやり予算」を削減するなどした。日本の強硬な姿勢に米軍は愛想をつかし、大統領令によって日本からの撤収が決まり、一年後沖縄の普天間基地を最後に撤退を終了させる。拙速な米軍撤退に不安がささやかれるが、積年の望みが叶ったことに日本中が沸く。特に沖縄では記念日が設けられるなどお祭り騒ぎだった。
 しかし翌月、沖縄振興予算の大幅削減を政府が画策しているという報道が波紋を広げ反政府デモが巻き起こる(実際は琉球新報誤報だった)。 そんな中、ドニー氏の後に就任した中国籍知事は中国からの支援を受けると主張し、日本からの独立を問う住民投票を実施。賛成票を過半数得たことで「琉球民共和国」として独立を宣言した。これを受けてすぐさま中国政府が国家承認を表明し、ロシアや韓国・北朝鮮もそれに追随した。
 他国の承認を受けて自らを国家主席と称した中国籍知事は四井政権に対し、一年以内の国家承認と出先機関の引き払いを要請する。これに対し政権は住民投票に法的拘束力がないことを理由に一蹴するが、知事は国籍不明の武装集団(中国の特殊部隊)を密かに招き入れており、各省庁や県警を制圧し、多数の役員を人質にとって同じ要求を繰り返した。動揺した政府は自衛隊発足初の治安出動を決定するも、イデオロギー自衛隊を動かしたくない為「現場待機」を厳命して様子を伺う。
 すると中国政府が日本の行動を「不当な軍事干渉」と非難。日本政府に対し24時間以内の自衛隊撤収を要求し、応じない場合集団的自衛手段に出ると恫喝した。中国海軍の複数の艦隊が沖縄周辺海域に大々的に展開する。四井政権は遺憾の意を示しつつ、自衛隊を待機させたままなおも静観の構えを取った。

 

 

 中国軍機侵犯と不審墜落

 24時間後、独立を宣言した中国籍知事が中国に救援を求め、中国軍のY9輸送機が単機で沖縄本島へ領空侵犯した。同輸送機はスクランブルした空自機に監視されながら、那覇市上空に接近して知事の立てこもる県庁舎に支援物資を投下し帰還の徒につく。しかし同輸送機はいったん領空を出るも再び侵入を繰り返した末、機内で不審な爆発を起こして空自機の目の前で墜落した。実は彼らは日本を挑発しわざと撃墜される任務を担っていたため、片道の燃料しか積んでおらず、最後は意図的な被弾を演出して墜落させたのだ(偽旗作戦)。日本メディアは自衛隊機が中国機を撃墜したと大騒ぎし、これに便乗する形で中国メディアも大騒ぎする。四井政権は事態収束の為に空自機パイロットを殺人罪で告発し逮捕するように指示した(これが結果的に戦争の口実を与えることになる)。

 超限戦

 輸送機を堕とされたことに「憤慨」した慣主席は「日本が軍国主義を振りかざしわが同志琉球独立の阻止に動き出し、我が国に戦争を仕掛けてきた」として強く非難、日本への制裁として、中国国内に出張している日本人を全て拘束するよう命じた。また、南シナ海を航行する日本国籍の船や、日本へ向かう商船を検閲し交易を寸断させる。そして、日本中のネットワークに総力的なサイバー攻撃を仕掛け交通や金融システム、電話線やネット回線、日本テレビ放送(NHK)を除いた報道局を全て機能不全に陥らせた。

 さらに沖縄では中国籍知事らが母国の国防動員法に基づいて中国政府との共闘を宣言、同族の労働者や留学生を焚きつけて那覇市内で大規模な反戦デモを行う。この動きは東亜総連の煽動によって日本本土にも広がり、国会前や各地の自衛隊基地前でも反戦デモが繰り広げられる。しばき隊などの左派過激派団体も参加し、保守系団体と衝突して乱闘や破壊活動に発展した。

 日本中がパニックに陥った時、慣主席がNHKを通じて「第二次世界大戦の反省を覆さず、敗戦国としての地位を永久に受け入れよ」と日本国民に降伏を促す。そして琉球とその周辺海域に対するあらゆる権益の放棄を要求し、応じない場合は「歴史上で類を見ないほど大きな結果に直面するだろう」と脅した。事実上の対日宣戦布告である。

 中国軍のミサイル攻撃

 四井政権が対応に困っている間に、中国軍は日本各地の自衛隊基地を標的とした極超音速ミサイル攻撃を決行した。海自がイージスシステムで迎撃を試みるも変速機道を描く弾頭を捕らえられず、着弾を許し各地で大きな被害を被る。特に佐世保基地には新型ステルス爆撃機であるH-20が急襲を仕掛け、放たれた誘導爆弾によって停泊していた艦艇を葬った上に弾薬庫誘爆で住民をも巻き込む大騒ぎを起こした(実戦におけるH-20のステルス性試験の思惑があった)。その混乱の最中、沖縄では沖永良部島久米島、そして本島の与座岳分屯基地の各対空レーダーがステルスUCAVによる精密攻撃によって全て破壊された。

 中国のミサイル攻撃によって那覇基地では滑走路の破損で空自機が飛び立てず、陸自の第15旅団も身動きが取れなかった。そこへさらに戦闘機を随伴した複数のH-6爆撃機防空識別圏に続々と侵入し、多数の巡航ミサイルを発射して那覇自衛隊施設を徹底的に爆撃する。本島周辺海域に待機していた護衛艦隊も極超音速飛翔体の攻撃を受け、甚大な被害を出していた。実は護衛艦隊の動きはすべて中国軍の情報部や偵察衛星「神眼」と無人偵察機「雲影」で筒抜けであり、そこに小型戦術核を搭載した対艦弾道ミサイルを発射していたのである(日本にとっては広島、長崎、ビキニ諸島沖に次ぐ四度目の核被害である)。生き残った艦艇もH-6のミサイル攻撃に晒られ全滅した。兵器の性能もあるが、防衛出動が発令されてない上、官邸から戦闘禁止を厳命されていたので対応が遅れたのだ。

 一方東京では四井首相が緊急事態宣言を発動するが、「戦争しない」イデオロギーにより肝心の防衛出動を決意することができない。中国へのホットラインも通じず、中国軍が日本の国土を破壊するのをただ傍観するばかりだった。

 

 琉球開放戦

 初手の打撃で日本の防空体制を破壊した中国軍はいよいよ沖縄本島への侵攻を開始する。戦闘ヘリと空てい部隊を那覇市上空に突入させ、市内で治安出動していた自衛隊員たちを攻撃しようとする。隊員たちは反戦デモで市中にごった返す住民たちを巻き込まないように、全員が自ら武器を捨てて一斉に中国軍へ投降することを決意。そのあまりのあっけなさに壮絶な流血戦を覚悟していた中国軍兵士達はたいそう驚いた。勢いに乗った中国軍は揚陸部隊を沖縄本島へ進軍させて揚陸作戦を開始し、未だ投降していない自衛隊員らへ攻撃を仕掛けた。ここでようやく首相が防衛出動を発令したが時すでに遅く、沖縄は中国軍兵士の一方的な蹂躙による阿鼻叫喚の地獄へと変貌していた。

 戦後日本初の防衛出動のまさかの空振りにひどく動揺した四井首相は生き残っていた通信を通して、中国政府に停戦を申し入れる。しかし停戦の条件に「琉球の独立承認」、「日本列島の完全かつ不可逆的な非核非軍事化」、「日本人の軍国主義の抹消」、「日米軍事同盟の解消」、「トカラ列島以南の全ての諸島や領海の主権割譲」、「一千兆円規模の賠償金の支払い」、「日本国内への人民解放軍の駐留」を要求された。沖縄独立や非軍事化には応じるつもりだった売国政治家の四井首相でさえ、後半の三つの要求には難色を示し、交渉は難航する。

 

 ロシアの参戦

 停戦交渉をしている間、突然ロシア軍が原住民アイヌ民族の保護を理由に北海道への特別作戦を実行。既に中国のミサイルで被害を受けている自衛隊基地は勿論、官公庁や住宅地を標的にミサイルによる爆撃を敢行。稚内市野付郡の二か所から上陸して陸自の北部方面隊と戦闘を開始する。中国も一方的に交渉を打ち切って日本各地への爆撃を再開する。弾頭は学校や住宅にも着弾して数百人規模の死傷者を出した。

 突然のロシアの侵攻と中国の一方的な交渉打ち切りを四井首相は強く非難し、即時攻撃停止を要求するが、同時に自衛隊にも戦闘停止を指示する。イデオロギーで目が曇っていた彼はあくまで独力での停戦交渉に拘っており、それ以外を認めない極度の精神状態に陥っていた(記者会見でも記者に向かって「だって9条があるんだよ!戦争は禁止なんだよ!」などと怒鳴り散らす様子が映され、世界各国から「史上稀にみる無能の宰相」と呆れられた)。

 さらに四井は水面下で支援を打診していた米国にも「戦争はしていない」と一喝。交渉を公に暴露して「米軍が戦争をでっち上げて日本に戻ろうとしたのを防いだ」と自慢げに語った。四井のこうした独善的な行動は結果的に米国と西側の支持を失うと同時に、現場の隊員たちへの支援や住民の避難を滞らせ、被害をさらに拡大させる結果となった。

 韓国・北朝鮮介入と核攻撃

 戦闘開始から三日も立たずに敗戦濃厚の雰囲気となっている日本にダメ押しの一撃が振り下ろされる。なんと突然韓国の支援を受けて、これまた住民投票によって対馬市が独立を表明したのだ。韓国政府は対馬の独立容認と独島(韓国人が勝手に竹島につけた名前)の永久放棄を要請し、応じなければ破滅的懲罰を与えると横柄な電報をよこす。四井政権は沖縄の時同様、法的拘束力がないと拒否。
 すると北朝鮮の山間に潜んでいた輸送起立発射機TELから極超音速ミサイルが複数発射され、大阪や京都、広島や長崎、そして東京に着弾し辺り一帯を焼け野原にした。爆風は道頓堀や京都御所原爆ドームや平和記念像、皇居や靖国神社を破壊し多くの日本国民をドロドロに溶かした。(日本にとっては五度目の核被害である。なお、皇族たちは防衛省の地下施設に避難しており、天皇皇后両陛下は宮内庁が中止と発表していた被災地訪問を決行していて無事だった)
 北朝鮮による核攻撃に対し米国は非難するも、四井首相が水面下のチャンネルを寸断させたため、何ら軍事的アクションを行うことはなかった。それをいいことに、中国軍とロシア軍も日本各都市の住宅地に向けて無差別に核ミサイルを発射、住民を巻き込んだ殲滅作戦を開始する。
 もはや打つ手がないと判断した四井政権は全面降伏を表明し戦争は終結した。

 敗戦国日本の孤立

 その後開かれた国連安保理事会で、日本代表は三か国の理不尽な攻撃に曝されたと主張。戦争はそもそも起こっておらず、一方的に占拠された領土は返却されるべきと訴えた。しかし、国際社会の視線は冷ややかだった。中国側は日本が1879年の「琉球処分」から琉球を不当に支配していたと批判し、虐げられていた琉球民族を救うために集団的自衛権を発動したと主張。1945年に敗戦国となった日本は「第二次世界大戦後の秩序への挑発を止め、不当に占拠していた領土を全てを放棄すると共に、周辺国に過去の侵略と不法な支配について必要な賠償をする」ように要求した。
 ロシアも中国に同調しつつ、北海道に古くから暮らしていたアイヌ民族は極東ロシアの先住民であるとして、日本の「圧政」から「解放」されるべきだと領有権を主張した。そして韓国と北朝鮮もここぞとばかりに意気投合し「日本は未来永劫我々に謝罪し贖罪し続けるべきだ」と吐き捨てた。
 頼みの綱の米国も日本は中露朝韓と「戦争していた」ことを認めるべきと発言し、中国側の言い分も一理あると事実上日本を見捨てる。結果、安保理事は一方的な断罪劇のまま終わり、中露朝韓の主張が認められる決議が採択された。日本代表は孤立へ追い込まれ、決議を受け入れざるを得なかった(四井首相の身勝手で非協調的なふるまいと、前々政権の出した独善的な枝本談話の影響で国際社会での日本観が悪化していたのが原因)。

 

第二の敗戦・戦後賠償

 後日北京で行われた北京講和条約をもってして日本は琉球の独立を正式に認め、係争中の領土(北方領土竹島)を放棄する他、北海道をロシアに、対馬と九州西部を韓国と北朝鮮に、残りの九州全域と西南諸島を中国に移譲することになった。条約では統治権を得た国や政府に「移民」申請さえすれば住民の生命と財産は守られると謳われているが、割譲される当該地域では戸惑いの声が溢れており、日本国への帰属を求める人が本土への移住を希望した(九州・北海道住民大帰国事業)。さらに日本は賠償金として中露朝韓と琉球政府に対して総額一千兆円を数十年にわたって支払うことになる。

 この戦いで日本は数千人規模の自衛官殉職者を出した他、民間人にも数えきれないほどの犠牲者を出していた。国家としての独立こそ維持されたものの自衛隊の解散と武装解除を余儀なくされ、各地の港への中国軍や韓国軍、ロシア軍の軍艦の寄港を認めさせられ、中国東部戦区軍の国内駐留を無期限に受け入れることになった(中日軍事協定、後に日中同盟と呼ばれる。実質主権はないに等しい)。さらに中国籍企業や中国系やコリア系にロシア系の移民も無制限に受け入れ可能となり、土地や企業買収も無制限に認めさせられた。こうした戦後の日中関係はかつての日米関係と類似した形となり、中国の西太平洋覇権拡大に大きく寄与する事になる。

 

 

 米国

 2期目に入ったワン大統領(中国の選挙干渉が再度疑われるがその声は黙殺される)が側近やFBI長官、最高裁判事、CIA長官に同じ出身国者ばかりを指名し、議会を無視し大統領令を連発する強権政治を行った。そして中南米からの不法移民に厳しくする一方で中国からの移民を厚遇し、中国系市長や州知事の選挙戦をあからさまに支援するなど同族贔屓を繰り返す(台湾住民の亡命を助ける意図があった)。また、導入を公約していたベーシックインカム制度も中国系が多い都市と西海岸の州に"試験的に"導入したまま進展させなかった(財政的な理由が大きい)。

 当時国内経済はAIによる自動化を背景とした雇用崩壊に陥っており、それも相まってワン大統領に対する国民の不満は頂点に達しつつあった。主要メディアは「我が国は中国人に乗っ取られ、滅ぼされようとしている」と批判し、往来では中国人に対する銃撃事件が多発する。これにワン大統領は「レイシズムと銃犯罪は許さない」と宣言し批判したメディアを締め出し、銃犯罪防止策として連邦軍所属以外は銃器所持を一切合財禁止する大統領令を発令した(これに全米ライフル協会と一部の保守派が反発し各州に合衆国連邦脱退の請願書を送る)。

 中日戦後、両国が軍事協定を結んだことを区切りに日本との同盟は解消され、米国の西太平洋におけるプレゼンスは完全に失われた。同盟が解消されたことを受けて当局は日本に有償供与していた兵器の部品供給を停止させる。さらに中央情報局(CIA)が技術流出阻止のため日本国内に入り、一部のブラックボックスを回収・破壊した。この時、日本の潜水艦数隻が機密情報と共に米国へ亡命しており、密かに原子力潜水艦の改良や教育に活用された(海自潜水艦亡命事件)。その後はAIの規制や安価な外国製品の輸入制限、労働移民の規制など孤立政策を推し進めていく。

 なお国民の大部分は中国と同じ日本観を抱いており、此度日本に降りかかった災難は「過去の戦争犯罪」による自業自得だと誰もが嘲笑し、国内在住の数少ない日本人子女に対して惨たらしいほどの苛めが公然と行われる。しかし、ごく一部の知日派親日派は「これは人類史上で最も卑怯で恥ずべき戦争」と称し、これを黙認した我が国こそ「戦犯」と主張し、将来「我々は最悪な目に合わされるだろう」と警鐘を鳴らした。彼らの小さな警告は後に起こる米国内戦、バーチャル戦争でもって現実のものとなる。

 日本

 戦中の大規模なサイバー攻撃反戦デモ隊の破壊活動の影響で壊滅的な経済的損失を被り、円と株式の信任が地に落ちて戦後は高額な賠償も相まってハイパーインフレーションに陥る(これによって円は国際決済通貨としての地位を失った)。また、中国との戦闘に陥って間を置かずにロシアと韓国・北朝鮮の侵略も受け、おまけに核攻撃まで受けるという五重苦を受ける羽目になった。
 当初、中国側は「天皇」を戦犯として差し出すよう要求してきた。それに対し日本政府の公式見解は「天皇は日本の象徴であり、国政に関する権限を有さず、政治における責任を問われない」だったが、共産党の四井首相は自分の命惜しさに天皇を差し出す決断をしようとしていた。しかし周囲に猛反対され国民からも激しい反発に晒される。挙句の果ては同じ共産党員からさえも糾弾され、窮した首相は米国への亡命を画策するも失敗し、かえって中国に目を付けられる破目になり戦犯として引き渡される。

 結果として天皇制は維持されることになったものの、資産の全てを中国軍の管理下に置かれ、国事行為の一切も禁止された上、避難先の防衛省地下に事実上の軟禁状態に置かれた。医療関係者の接触も制限されたことから、高齢の皇族が体調を崩し崩御薨去される事態になった。大喪の礼斂葬の儀も許されず、お骨も陵墓に埋葬されずに海にばらまかれた(この仕打ちに多くの日本人が衝撃を受けアイデンティティを傷つけられた)。

 戦後、解散を免れたメディアは自ら中国共産党の御用メディアに名乗りを上げて中国礼賛を繰り返し、日本のあらゆる文化や歴史を否定的に描くようになる。政治においては東亜総連が戦勝市民を自称して発言権を主張、中国政府からの後押しも受けて国政への参加権を勝ち取る。この権利は全ての外国籍に認められたが、この頃の東亜総連は中国籍が多い事もあって中国色を帯びており、中国の主張を代弁することが増えていた。
 有事に反戦デモと暴動を焚きつけた中国籍知事・市長らは英雄として祭りたてられ、同職退任後は東亜総連の支援を受けて中国籍政党「東亜連合党(東連党)」を発足させる。この動きには一部の左派日本国民や反天皇制運動連絡会なども合流し、「日本の侵略の源流は天皇制にある」と主張して天皇制の廃止を目標に取り組むようになる。
 国内市場では中国資本の参入に無条件で認めさせられた結果、日本の特許や技術の多くが中国国営企業に買われていった。なかには三菱重工をはじめとした防衛産業も含まれており、中国製兵器に飛躍的な性能向上をもたらすことにつながる。だが敗戦直後、自衛隊の一派が米国のCIAと結託して軍艦や軍用機の自爆処理ブラックボックスの返還・破壊を敢行した。特に国産潜水艦に関しては一部の技術者と共に買収前の工場から機密情報を持ち出し、潜水艦で丸ごと米国へ亡命してしまう(海自潜水艦亡命事件。米国ではジャパニーズペーパーグリップ作戦と呼ばれた)。このことを中国の技術者は問題視したが中国政府は「日本の猿知恵など野犬(米国のこと)にもくれてやれ」と軽く見ていた(これが後に米原潜への対処に苦労する原因になる)。
 なおこの戦争で自衛隊は解散され隊員たちは再就職を余儀なくされるが、亡命事件もあって彼らは中国当局の監視下に置かれ、その大部分が何かと理由を付けられて中国に強制連行され行方知れずとなる(後に拷問にかけられ裁断機によって粉砕処分された記録が発見される)。他にも米国にパイプのある外交官や商社マン、経済学者や憲法学者、果ては英語教師まで監視対象になり、わずか一年で人口の半分の日本人が行方不明となった。

 琉球(沖縄)

 琉球独立の住民投票は三年前に県で施行された住民投票条例に基づいており、三年間在住のすべての住民投票権があるとされた。条例施行後同県では急激な中国人留学生の増加と同国籍技能実習生の大幅増員が確認されており、外国勢力による作為的意図が懸念されていた。琉球民共和国として独立した本島からは米軍が完全に撤退したが、対日戦争で上陸していた中国の空挺部隊や揚陸部隊に加え、戦後に駐屯してきた東部戦区軍によって新たな軍事基地を設営される。

 新政府は訪琉してきた中国高官の指導の下、新憲法を制定して日本からの永久独立が明文化された。そして当面の国家運営の指南役として、中国共産党支部を新政府内に組み込まれる(事実上の傀儡政権だが、メディアでは米統治より優しい統治だと喧伝された)。

 国内経済は日本からの賠償金(中国政府を介して人民元での支払い)で潤い、それを目当てに中国系の移民と企業(中国政府のひも付き)がどっと押し寄せるようになる。そして、首都那覇をはじめ沿岸部の町が再開発され、西南諸島沖のメタンハイドレード採取事業の拠点になった。結果、元沖縄県民の多くが望んだ急速な経済発展を成し遂げる事になるが、雇用は移民が優先された上、公用語を実質中国語にされたため彼らの生活環境はむしろ悪化していった。 

 中国

 各都市ではナショナリズムに傾倒した市民達が待望の対日戦に沸き立ち、戦闘で死者を一人も出さなかったことも相まって、誰もが勝利の美酒に酔いしれていた(ただ邪悪な日本人を皆殺しにしなかったことを多くの人民が不満がった)。慣遠鋭は偉人として崇めまつられ、名実ともに皇帝として就任した(中華人民共和国の帝政化)。新皇帝はさらなる大国化を目指す事を宣言し、外モンゴル併合やインド洋の掌握、オセアニア進出、果てはハワイを奪取し太平洋全域を支配下に置くなど世界制覇への歩みを確定路線としていた。
 しかし、一見日本に対し完勝したかに見えた中国軍本隊の実態はあまり良いものではなかった。序盤の沖縄本島では過剰すぎる戦力で制圧を達成したものの、九州ではただの一つも自衛隊基地を堕とせておらず、一部では戦果に見合わない過剰な領土獲得だと囁かれた。また中国兵達に死者が出なかったのは自衛隊側が意図的にバイタルゾーンを外して撃ってくれていたためで、中には負傷した中国兵を手当てしてくれたという噂まである。この都合の悪い話は完全に闇に伏せられ、最強となった中国軍の武勇伝だけが誇張して伝えられたのである。

 国内の技術革新はどんどん飛躍し、量子暗号を使用した「決して盗聴されない(ただしサーバーで政府に監視されている)」中国ネットワークが東アジア全体に整備される。衛星軌道では天宮が完成し、人類史上最大の宇宙構造物として君臨する(慣皇帝専用の豪華な宿泊施設もあったことから、名実ともに「宇宙の王宮」と呼ばれた)。経済は全て国営化された企業を量子コンピュータAIに一元管理させた計画経済となっており、年に数隻の軍艦を生産する工業大国になっていた。戦争特需も相まって財政も潤沢になり都市ではベーシックインカムが導入され人民の生活が好転する。この成功例は日本の没落に反比例して世界中の注目を集めた。

 しかし、雇用環境は悪くなる一方で地方の貧しさも相変わらずであり、そこに住むのは現地で生まれた者の他に、老後の金のない高齢者、社会信用システムで都市を追い出された者だけだった。次第にロボット農場に住む土地を奪われるようになると、彼らは生活の改善を訴え暴動に走るようになる。中でも精力的に活動したのは内モンゴルの草原を護ろうと立ち上がったモンゴル人たちであり、中国を揺るがすほどの社会運動を引き起こそうとした(背後には内モンゴル独立派があるとされている)。

 危機感を持った政府は銃武装した警備ロボットを地方へ大量に配備し、効率よく確実に暴動を鎮圧させた。また、虫や鳥のように動き回る自律型監視ロボットも大量生産され、反抗的な人民を一人残らず監視・殺害していった(この攻撃で国内の独立派や民主派の団体の多くが壊滅に追いやられた)。このロボット対人間の戦いは世界的注目を集めたが、同時に批判もされるようになり政府は最終的に地方人民への配給制を実施するようになる。しかし、それでも不満がある人民はより良い生活を求めて海外への移住に走る。

 朝鮮半島

 韓国と北朝鮮の指導者は事前に慣遠鋭政権とジーミル政権と秘密の会談を開き、日本攻撃の計画を立てていた。韓国は中国が琉球に対してしたのと同じように、対馬にも工作を仕掛け、独立の住民投票を行わせる手筈を整えていたのだ。北朝鮮の日本への核攻撃は中国に委託された形で、万一の米国の核報復のリスクを負って日本の核攻撃を決行した。そのリスクが功を奏し、後の核密売に大きく寄与することになる。

 韓国国内では中国同様対日戦争勝利に誰もが酔いしれ、ソウルではお祭騒ぎになっていた。北京条約成立から間もなく政府は対馬編入を実行。この時条約で約束された島民の安全と財産の保護は守られず、島民は一人残らず全財産を奪われ強制収容所に入れられ迫害された(対馬島民強制収容事件。収容された島民の中には特別永住権を持った高麗籍住民も含まれていた)。その後長崎があった場所に日本大使館移設を強要し、日本人に半島の地を踏ませないようにした(排日政策。日本に関わる物・人を徹底的に排除し受け入れない排外主義的政策)。

 しかしここで南北の関係が悪化、北朝鮮は韓国が自国の了解なく獲得した領地を独占しようとしていると批判し交渉を要求。韓国が要求を受けて交渉に臨むも、“韓国領”を含めた分割案を出されて決裂。南北の紛争に発展する。

 対日を意識して海軍力を高めていた韓国だったが、ソウル防衛に関してはまるで改善しておらず、あっけなく陥落してしまう。今や米軍の助けもなく、嫌々ながらも連携してきた日本の支援もない中で韓国の大統領は済州島から九州へ逃げるが、ジェット機を撃ち落とされて死亡した。その後旧韓国国土では言論統制を背景とした粛清が起こり8千人以上が殺害された。数百万人規模の韓国難民が九州の中国支配下密入国を図るが中国によって送り返された(当然、送り返された彼らは朝鮮当局に処刑された)。

 晴れて朝鮮と九州西部の支配者になった金一族は二か国分の賠償金を独占した。実は北朝鮮の国家財政は、金一族の巨大な宮殿と箱物展示、本格的水爆開発と宇宙開発によって疲弊しており、中国に対する債務でとある湾港を差し押さえられるところだったのだ。そのため日本からの高額な賠償金は国家財政を立て直す救世主であったが、債務返済後は再び一族の贅沢と兵器開発に当てられ、人民の生活が向上することはなかった。

 経済は完全に中国に依存しており、韓国が進めていた日本海でのメタンハイドレート採掘も中国企業に買収されて、現地住民が低賃金で働かされている。中国AIも導入した朝鮮幹部だったが、中国への完全依存を良しとせず、兵器ビジネスの闇マーケットに活路を見出す。核攻撃の成果をダシに中東・アフリカなどを中心に核の売り込みに腐心し、複数の国との商談にこぎつけた。これが後の破局的な戦乱を引き起こす元凶となる。

 

 東南アジア

 諸国は日本が敗北したことに衝撃を受け、保身に走った指導者によって各国の対中傾斜が加速する。フィリピンは国内の湾口に中国海軍の補給基地を作ることを認め、インドネシア政府も同国海域の中国海軍の活動を無制限に認めた。続いてシンガポール、マレーシア、ブルネイも中国との軍事的関係を深めていった。
 経済においてもほとんどの国が中国の支援を頼りにするようになる。中国国営企業による地元企業の買収も積極的に行われ、中国共産党の干渉下にない企業はほとんどない。文化の干渉も行われるようになり、タイやカンボジアでは君主制廃止に向けた動きが華人を中心に本格化している。

 欧州

 どの国も自動化の影響で失業率が殆どの国で40%近くになっており、国民生活が破局的な状況に陥った。右翼団体が移民排疎運動を活発化させた他、移民コミュニティもデモを起こして生活の改善を求めた。次第に両者の中で過激思想に走った者がテロを起こし合うようになる。これは欧州連合から離脱した英国も同様であり、スコットランドの独立をもたらした他、ウェールズ北アイルランド独立運動をも引き起こすことになる。とてもじゃないが、アジア情勢に目を向ける余裕などなかった。

 ロシア

 ジーミル大統領は長年中国との連携に努め、事実上の同盟関係にまで発展させていた。今回の戦争は壊れかけた日米関係にとどめを刺し、完全に米軍を西太平洋から締め出すことで「アメリカの時代」を終わらせると同時に、日本を強国として復活させないように封じ込める目的があった。

 ロシア史に前例のない極東への更なる領土拡張に成功したジーミルは終身大統領の地位を手に入れ、ツアリデント(皇帝のツアーリと大統領のプレジデントの合成語)と呼ばれた。自らの政治手腕に陶酔した彼はその後も西側の衰退に乗じて、NATO加盟国にも侵略の食指を伸ばすようになる。

 開戦当初、ロシアの揚陸部隊はドローンを駆使して日本の戦車部隊に打撃を与え、宗谷と根室を難なく占領することに成功する。勢いに乗ったロシア軍は北海道の道庁所在地である札幌制圧を目論むが、石狩湾に近づこうとした揚陸艦が日本の潜水艦によって推進器を壊されて航行不能にさせられてしまう。一方、宗谷と根室から進軍した部隊も日本の旅団の遅滞作戦によって遅々と進まず、苛ついたロシア兵は民家の略奪と殺戮に専念し、実質作戦が滞ってしまう。中国軍もそうだが略奪や民間人殺戮の様子がSNSに取り上げられると、国際的非難を浴びる危険性が高まるので、露中両政府は総力的なサイバー攻撃で日本のインターネットを事前にブラックアウトさせていたのだ。

 中東・中央アジア・アフリカ

 中東ではイランの指導者が異教徒(イスラエルのこと)の核に対抗するためファトワー(イスラム世界で最も影響力のある政治的宣言)を解除し、核保有を宣言。イランの核保有を防げなかったイスラエルも核保有を「宣言」する緊迫した事態になった。核戦争の危機が高まるが、ロシアと中国の仲裁により相互に核先制不使用を宣言して緊張緩和となった。

 中央アジアでは2021年に米軍撤退後のアフガンに中国企業が多数進出し、米国駐留時代を上回るインフラ整備が行われていた。経済も豊かになり、国民生活も改善するが、イスラム原理主義者の間では豚肉を食べて酒を飲む中国人に嫌悪感を持つ者が少なくなかった。

 アフリカでも中国企業の進出が活発で外貨はデジタル人民元が採用されていた{事実上の人民元経済圏)。その一方で支援や発展で得られる富のほとんどが独裁的指導者の懐に入るため、国民の生活はあまりよくなっていない。また重要なインフラ整備や新事業の主要なポストは出向した中国人が握り、現地で貴族のごとき振る舞いをし続けた為、最初はありがたがっていた国民も不満を持つようになる。その不満を埋めるようにイスラム原理主義の活動も活発になっていた。

 

続きはこちら

 

hatoyabu01.hatenablog.com

hatoyabu01.hatenablog.com

 

 (2019/9/9 本文一部加筆修正、9/18、9/26、10/2、11/15 本文一部修正、12/3 リンク添付)

(2020/1/11 見やすく修正、1/12 中国系大統領に関する記述を修正、2/3 小タイトル修正・ロボットに関する記述を追記。7/10 リンク追加、8/9 リンクの追加、9/13 内モンゴルに関する記述を追加)

(2021/2/7 シナリオを一部変更、2021/3/13 自衛隊法上撃墜はあり得ないので修正、2021/4/18 高麗による核攻撃の描写を変更、2021/11/26 住民投票を利用した独立工作について詳述)

(2022/2/6 内容を大幅修正、2/17 内容をさらに一新、2/18 ロシアに関する記述を修正、2/27 本文を一部修正、円暴落と世界経済の関連性を削除、中東・中央アジア・アフリカに関する記述を追加、4/3 本文、シナリオの詳細をさらに手直し、2022/6/8 加筆修正、6/9 先島諸島についてシナリオ一部変更、6/26 本分シナリオ、朝鮮半島について記述を変更)