戦争の始まり~ウクライナ戦争と東沙事件~(改題。またかなり手直ししました)

※この作品は作者の独断と偏見による戦争シミュレーションです。実際の人物、国、民族は関係ありません。

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 武漢熱の変異株が未だ世界に萬栄し、世界経済が疲弊する中、権威主義による不安定化が始まっていた。民主主義諸国の厳しい視線の中行われた北京五輪は米国のバルデン大統領を筆頭にした政治的ボイコットの意義こそ示されたものの、その後の「五輪の政治化」を批判した中国の宣伝戦によって矮小化されてしまっていた。

 そんな「平和の祭典」の中、ロシアのジーミル政権はウクライナNATO入り阻止を口実に、ベラルーシと大規模な軍事演習を開始し、2014年に武力侵攻したウクライナ東部のドネツク・ルガンスク国境沿いからクリミア半島周辺まで、ウクライナを半包囲するかのようにロシアの大軍を仰々しく配置して緊張を高めていた。

 ロシアのウクライナ侵攻

 2022年2月××日、極度に高まった緊張下の中、米メディアから「ロシア軍侵攻予定」の報道が走る。実際ジーミル政権はこの日の武力行使を狙っていた(実際前哨戦として大規模なサイバー攻撃が行われていた)が、米国の情報機関CIAによって探りを入れられていたのだ。奇襲の出鼻をくじかれたロシア軍は演習終了を理由にベラルーシからの撤退を始める。西側の一部メディアはこれで戦争が回避されたと報じた。

 しかし、北京五輪終了間もなくロシア軍がウクライナへの攻撃を開始する。既に支配下に置いているドネツク、ルガンスクの両地域を独立国として承認し、安全保障協力と称して堂々とロシア軍を進軍させる。最大19万もの軍事力の投入は第二次世界大戦以来見ることのなかった事態であり、世界中の目がウクライナ東部に集中する。

 だがウクライナを陥落させる本命は、その仰々しいかつ古典的な大軍ではなかった。ベラルーシに残存していた数万の精鋭部隊だったのだ。戦闘開始から間もなくロシア―ウクライナ国境沿いに配置されていたイスカンデル短距離弾道ミサイルによってキエフウクライナ軍施設への通常弾攻撃が浴びせられる。そしてあろうことか1986年の事故以降立ち入り禁止になっていたチェルノブイリを突っ切って、最短ルートで首都キエフに迫ったのである。

 しかしウクライナ国民は勇敢であった。絶望的な国力差でもめげることはなく、侵攻してきたロシア軍を迎え撃つ。そして首都制圧の任務を担っていた露軍精鋭部隊のヘリを撃墜することでロシアに長期戦を強いることに成功する。米国のバルデン大統領を始めとした西側諸国はロシアを非難し強力な制裁を段階的に行い、ウクライナに武器などの支援を行った。この動きには北欧のノルウェースウェーデンフィンランドも加わった他、中立国スイスも参加するようになる(このことは後にロシアの北欧攻撃の動機となった)。
 まるで四面楚歌に陥ったロシアだが、ジーミル大統領に諦めの色はなく、停戦交渉しながらもウクライナ各地へ無差別のミサイル爆撃を繰り返した(子供がいる産婦人科や学校も容赦なく攻撃し多くのウクライナの子供が殺された)。特に激しかったのはクリミア半島ウクライナ東部のドンバス地方を繋ぐ要所であるマリウポリで、市民の抵抗を容赦なく粛清した上、局所的な化学兵器を使用してウクライナ兵士と多くの市民を惨殺した(一部ではロシア兵士も巻き込まれた報告もあり、史上最も残酷な作戦と後世に語り継がれる)。死屍累々となったマリウポリを手に入れたロシア軍だったが被害も大きくオデッサ侵攻を目的としていた黒海制海権を守護する艦艇が被害を受け、首都攻略軍を始めいくつかの方面の軍は押し返される事態となり、戦争は長期化する。
 ロシア軍の余りに惨すぎる行動に西側が非難の声をあげ、ロシアの戦争犯罪を問う動きもあったが、ロシアは敗戦していないことを理由に一切を拒絶。停戦も自分たちが獲得した領土の主権をウクライナが認めないことを理由にひたすら戦争を継続しようとする。ジーミル大統領は同戦争を祖国大戦争になぞらえて武力行為を正当化し、西側の干渉は「核戦争を意味する」と恫喝した(この恫喝がもたらす実質的効果が後の中国の軍事作戦にも影響する)。

 

 中国軍東沙諸島攻略

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 ウクライナでの出来事の衝撃が鳴りやまぬ2022年×月××日、中国軍の爆撃機を中心とした飛行集団が台湾島南西に侵入し、突如東沙諸島に対する爆撃を敢行した。これによって現地に駐在していた台湾の海岸巡防暑署員や台湾軍人の200名のうち半数近くが死傷する。その後、武装した海上民兵によって同島は占拠され、生き残っていた台湾人は「テロリスト」として身柄を拘束された。

中国報道官は「わが国固有の領土を不法占拠している独立主義者を排除した」として攻撃の正統性を主張。他国の介入は「核戦争の引き金になる」とロシア同様にけん制した。

 ロシアに続く中国のあまりに露骨な軍事行動により世界中に緊張が走るが、米国は日本と共に「深刻な懸念」を表明するに留まり、ウクライナ戦争と同様、不当な武力行使の撤回を求めて経済制裁と台湾支援をするだけだった。結果的には中露による力による現状変更に当代の覇権国家が対処できない大事件として後世に語り継がれることになる。

 その後東沙諸島を実効支配し、事実上の勝利をつかんだ中国は強引な埋め立てを行って島を拡張して、潜水艦も寄港できるほどの軍港を建設する。島内の建物内に臨時台湾省特別行政区を設置して「これこそが正統な中国台北政府であり、今台北にいるのは独立主義者に占拠された欺瞞の政府だ」と主張した。

米国

 ポーカー氏の後任として民主党のバルデン氏が就任する。彼は国際協調を公約に掲げ(ポーカー氏のせいで)分断されていた米国を団結させると謳った。しかし実際は思うように事が運ばず、平和の象徴として実行したアフガニスタン撤退はタリバン復権という屈辱的な結末を招き、支持率を大きく減らす(バルデン自身はこれでノーベル平和賞受賞を夢見ていた)。支持率回復の為、脱炭素政策を大々的に掲げて西側諸国を巻き込み、空前のオイル高を引き起こす。

 対中国に対して、当初は人権問題や台湾問題で政治的圧力をかけ、慣遠鋭政権が形だけでも軟化の意を示せば緊張緩和を演出するつもりだった。しかし慣政権が強硬の姿勢を変えない為、ポーカー前大統領の残した対中包囲網を踏襲することになり、負担軽減を日本に求めるようになった。しかし日本の中国に対する態度が曖昧なため、地域安定化の為に対中強硬を演出し続けることになり、北京五輪を政治的ボイコットするが追従国が少なかった。

 五輪直後に起こったロシアのウクライナ侵攻前には制裁を警告しながらも軍事的支援は一切行わず、侵攻時には仰々しくも制裁を小出しにする事(戦略上好ましくないとされる)によって一時は多くの国の協賛を得るが、戦争が長期化するごとに協力する国は一つまた一つ減って、NATO諸国と日本だけになってしまう。さらにその後の東沙事件でも同様に静観する結果となり、「落ち目の米国」を決定的に印象付ける不遇な大統領として名を残すことになる(中露による二方面作戦を強いられたのが原因と後世では指摘されている)。

日本

 総裁任期一年残して辞任した高部の後に元官房長官元号発表の顔になっていた須賀氏が首相就任した。高い実務能力で武漢熱対策に取り組み、諸外国に出遅れたにもかかわらず急速なワクチン接種率の拡大を実現した。結果死者数も他国より抑えられたのだが、自粛による経済低迷が響き支持率を落とす不遜な結果となり、総裁選不出馬を決定して退く。その後総裁選で勝利したのは親中派で有名な宏池会の領袖の沖畑氏だった。衆院選を切り抜けて改めて首相の座に就いた沖畑氏は宏池会ゆかりのメンバーを中心に閣僚へ抜擢し、政局において高部氏を封じることを優先した。また米中仲介の幻想に嵌り、外相に中国との太いパイプがあることで有名な矢橋氏を任命し、米国の不信を買った。

 北京五輪に対するバルデン政権の政治的ボイコットには「国益を踏まえて判断する」と主張して距離を置き、慣政権をおおいに喜ばせるも、年明けの日米2プラス2で対中路線を踏襲した共同宣言を出したことで逆に怒らせてしまう。また自民党内の保守派と野党の突き上げにあって中国のウイグルチベット内モンゴル・香港での「人権状況」に懸念を表明する決議を採択。非難も名指しも避けたマイルドな決議だったが「尊敬される中国」像に固執する慣遠鋭の機嫌を損ねる。

 焦った沖畑首相は米国との軍事協力を計画レベルに留め、即時の具体的な軍事行動により消極的になる。同時期に問題になっていたロシアのウクライナ侵攻危機にもウクライナ情勢を巡る懸念の表明を決議していたが、やはり名指しの非難は避け、ロシアとの定例の経済協力の会合も実施する二枚舌ぶりを発揮する。
 しかしロシアが軍事侵略に踏み切ったことで方針転換を余儀なくされ、米国とNATOよりワンテンポ遅れながらもウクライナ支援や対露制裁に踏み切る(初動が遅れたのは当時外務省欧州局の職員が「ウクライナは遠い国の話」と高をくくっていたことが背景にある)。

 当時国内の第六波の感染拡大が起こっていたため、政治のリソースを国内のコロナ対策に力点を置いており、報道もそれ一色になっていた。そんな中二つの有事が立て続けに起こったことで、国民の間に現在の憲法や米国に頼った防衛政策に疑問の声が上がる。だが、ハト派としてのプライドがある沖畑政権は強硬姿勢を見せながらも「専守防衛」と「非核三原則」を堅持することを宣言し、米国と共に経済制裁と「懸念砲」だけで事を収めようとした。彼のこの戦後体制に拘る行動が中国の更なる増長を招き、後の尖閣発砲事件を誘発することになる。

中国

 強い権力志向を強める慣遠鋭主席は三期目の国家主席続投を狙い、既に憲法改正や腐敗撲滅運動による政敵を排除を済ませていた。また「共同富裕」を掲げ経済成長の陰で増長していた富裕層を粛清し、庶民の人気をあげようとしていた。しかし粛清はエンターテインメントにも及び、愛国者を名乗らない庶民にまで攻撃の手が及ぶ。この「腐敗撲滅」「共同富裕」「愛国ファシズム」によって強められた強権的統制は毛沢東時代以来の「21世紀版文化大革命」と後世に語り継がれる。

 慣主席が目指していたのは毛沢東と同じ「中国共産党中央委員会主席(党主席)」の復活であり、中華帝国の復興であった。そのためには秋に行われる共産党大会へ向けて毛氏に比肩する「国史に残る大きな戦績」が必須であり、その標的として台湾と日本に狙いを定めていた。東沙事件後、国内では「祖国統一への小さくて大きな一歩」だと大々的に喧伝し、秋の党大会ではこの戦績でもって慣遠鋭は晴れて党主席の座を手にしたのである。

 なおロシアのウクライナ侵攻時は五輪直後であったにもかかわらず、これを非難することはなく同国の主張を支持した。また同じ頃、インドとの国境沿いにある小国ブータン王国の西側の領土に勝手に侵入し、多くの漢人を入植させている。これが後のアジア最大の戦争と言われる中印戦争の下地となった。

朝鮮半島

 韓国国内では大統領選の最中であり、保革対立の再来となっていたが「日本を仮想敵国とし、没落する米国から離れ中国に接近する」という大局を変えることはなかった。一方北朝鮮武漢熱による経済の低迷が深刻な状態であったが、中露を援護するため、ひっきりなしにミサイル試射や核実験を繰り返して日米を挑発し続けた(ロシア軍のイスカンデルによるキエフ攻撃は派生型を生産する北朝鮮にとって大きな兵器ビジネスのチャンスを広げる恩恵をもたらした)。いずれにせよ朝鮮半島の両国はもはや西側の一員ではなかったのである。

台湾

 日米に見放された形になった台湾には動揺が走り、才台文総統は「中国の圧力には屈しない」としながらも単独での失地回復は断念せざるを得なかった。また臨時台湾省特別行政区の設置の衝撃も(諸外国が真に受けなかったのに対し)大きく、親中派の間から「このまま戦争になるよりは恭順すべき」という主張がでて物議をかもした。

ウクライナ

 ロシアに支配された地域ではロシア軍による恐怖政治が行われており、反抗的なウクライナ国民の多くが強制連行され、サハリンなどに移住させられたりした。ドンバス地域には巨大な収容所(ロシアは職業訓練施設だと主張している)が建設され、多くのウクライナ人が収容されて拷問された末に死んでいった。その支配統治は中国のウイグル支配を彷彿とさせるものであり、数年後にはロシア内地から移住してきたロシア人が大多数を占めるようになっていた。
 占領を免れた地域では再建の真っ最中だった。停戦交渉の経緯の中でNATO加入を断念するも、西側や核保有する数国との安全保障条約を結んでロシアへの抑止力を得ることができたのだ。だが、都市再建時には多くのチャイナマネーが流れ込み、大統領もしばしば中国の人権問題について宥和的な発言をするようになる。それが台湾問題と相まって、徐々に西側の支持を失う形となり、ロシア復権のチャンスを与えてしまう。

 なお戦争中には多くのウクライナ人がルーマニアポーランドへ難民となって押し寄せたが、戦後は復興の為に母国に帰る者とその場で定住を希望する者とに別れ、西側で社会問題になった。

ロシア

 2000年から「強いロシア」をスローガンに掲げ、民主化を装いながら強権的体制を作り上げてきたジーミル大統領はソ連崩壊による地政学的失地の回復の為、ウクライナへの侵攻を計画していた(主にクリミアへの水道などのインフラ復旧が主たる目的で、ウクライナNATO加入阻止は見せかけの口実だった)。2014年のソチ五輪直後のクリミア侵攻での成功に味を占めた彼はウクライナ東部を支配下に置き、かつキエフウクライナ政府を親ロシアによる傀儡にすることを狙って、国を挙げた軍事行動を準備する。北京五輪直後、戦争に及び腰のバルデン政権の足元を見て軍を進め、兵士・武器・経済など多くの犠牲を払った末にウクライナ東部を軍事支配下に収めた(この時、兵力が手薄になった極東の海域に米空母が接近していたが、中国との秘密の連携を結んでいたため、一見無謀な賭けを実行できたと言われる)。

 その後、軍事支配下に置いた各地で内通していた親露派による暫定政府を設置し、形ばかりの選挙を経てロシアとの統合を志向した傀儡政府を樹立、ロシア軍の長期にわたる駐留を認めさせる。そして既に支配下に置いていたドネツクとルガンスクと共に正式にロシアへ編入し、多くの従順なロシア人達を移住させた。

 なおウクライナ侵攻時、長年武力占拠しているクリル諸島(ロシアが勝手に名付けた日本の北方領土)で大規模なミサイル訓練を行い、日米をけん制していたが、これを東沙事件時にも行った上、米国南方の国キューバや南米のベネズエラで大規模な軍事演習を行うことで中国をサポートした。ロシアと中国は共に「アメリカの時代」を終わらせるための最終計画に取り掛かっていたのである。

 欧州

 欧州はウクライナNATOに加入していないことを理由に介入はせず、財政支援と武器供与に限定されていた。特にドイツは十数年の脱原発政策や近年の脱炭素政策の為にロシアの天然ガスに依存する状態となっており、一時はウクライナへの武器供与などの支援を妨害したりまでした。フランス大統領がジーミル大統領と会談して緊張緩和を図るも、戦争を回避することはできなかった。

 実際に戦争が行われた際、そのショックにより、バルデン米政権と共に国連で対露非難決議を発議し経済制裁するなど、NATOとしての結束を見せた。しかし戦争が長期化するごとに徐々に結束は乱れていき、強い非難をしながらもロシアの暴虐を止めることはできなかった。東沙諸島については関心すら示さなかった。

 インド

 インドは長年欧米を信じず、冷戦時代も独自の核武装による「第三の道」によって非同盟政策を維持してきた。近年、強大化する中国に対抗するため、限定的ながらも日本や米国との連携を模索する。しかし、やはり集団安全保障には加盟せず、ウクライナ戦争に対しては中立の態度をとり、国連非難決議でも棄権してロシアに配慮した。この行動は日米との連携を浅くする結果をもたらし、中露による分断工作による各個撃破の餌食になってしまう。

 

 

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(2022/2/5 全文、米国、中国、朝鮮、ロシアに加筆修正)

(2022/2/17 ロシアのウクライナ侵略の描写を追加、軍事的シナリオは『青山繁晴チャンネル・ぼくらの国会第284回 ニュースの尻尾「戦争は起きるのか」』

https://www.youtube.com/watch?v=gbTjVYvRaHU

を参考、同日 カテゴリー変更、2/18 ウクライナとロシアの記述を修正、2/22 ロシアのウクライナ侵攻につき部分的に修正、2/24 ロシアのウクライナ攻撃の内容を修正、3/5 ウクライナ戦争についてのシナリオを現実へ修正、インドに関する記述を追加、4/3 シナリオを大幅編集、5/16 取り消し線部分を削除、ウクライナ戦長期化を念頭に記載を変更)