日本と皇室の未来について

 今日令和元年10月22日は新天皇陛下の「即位礼正殿の儀」です。この日本史に残る重要な日を合わせて皇位継承に関する私見を述べさせていただきます。リベラルを自称する方の中には「皇位継承?そんなものどうでもいいっしょ?」とおっしゃる方もいるでしょう。

 しかし、考えてみてください。今の元号は何ですか?令和ですよね?なぜ令和になったのですか?現上皇陛下が5月1日に御譲位なされたからですよね?なぜ御譲位なされたのですか?……平成28年8月8日に発せられた「おことば」をきっかけに国会で特例法が審議されたんですよね?

 日本国憲法第4条の第1項には、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」とあり、陛下が国政に関与することはないのですが「影響」は及ぼすわけです。いくらリベラルを標榜するメディアも陛下お言葉は無視できず、日柄個人や地元の利益しか考えない代議士も陛下のお気持ちを蔑ろにできません。

 そうなれば皇位継承は日本の根幹にかかわる重要な案件であり、テキトーに考えているととんでもないことになることがわかるはずです。私の意見を論文風にまとめました。

 日本皇室制度が男系に拘る理由

 現代日本天皇神武天皇から連なる男系一系とされている。"万年"一系に疑義を唱える者はおれど王朝交代という大事件が起こったという記録は皆目にして存在しない事は明確である。したがって天皇家は人類史上最長の王朝と言えるだろう。
 皇位継承が男系の男子とする今日の皇室典範を批判する者がいる。彼らが言うには過去に推古天皇など女性天皇が居たのに、現在の皇室で女系継承の余地を入れないのはおかしいという。しかしこれは歴史を知らぬ安直な思考と言わざるを得ない。
 これまでの歴史上女性天皇は確かに存在した。しかし彼女らはいずれも皇族を父とする男系であり、その背景も天皇である夫の崩御や男系親族の継承までの中継ぎとしての役割が強かった。つまり女系継承は一度も行われていないのだ。そして即位中は勿論、譲位後も彼女らは独身を貫いたという。私個人としては女性天皇の即位はありとは思うが、即位する皇女に一生独身を貫かせる訳にはいかないから、多用すべき方策ではないと思う次第である。

 日本皇室が何故男系に拘るのか?現代は男女平等の潮流の中にあり、日本も女系を認めるべきだという女系推進論者もいるだろう。しかし果たして女系容認イコール男女平等なのだろうか?
 女系継承でよく引き合いに出されるのが欧州の王室だ。例えば20世紀初頭のイギリスで、ビクトリア女王アルバートが結婚して次代の王エドワード7世が生まれた。オランダでもウィルヘルミナ女王がハインリヒと結婚して次代の女王ユリアナを産んでいる。
 これをもってして欧州で男女平等が進んでいると主張する者もいるだろうが、上に述べた二例はいずれも女性解放が謳われた1960年代より前の出来事である。そもそもキリスト教圏である同諸国は傍系継承が認められない為、王室存続のため時折女系継承している。つまり男女平等の潮流とは全く関係がないということだ。
 それに王配(女王の配偶者)はどんな男性でもいいわけではなく、欧州では他国の王子か貴族の息子に限られている。先に述べたアルバートもドイツの名門貴族であり、ハインリヒも大公家の出身だった。これは現在においても同じで現イギリス国王のエリザベス2世の王配フィリップはギリシャ王家の出身である。例外として現スウェーデン王太子ヴィクトリアの配偶者のダニエルは平民出身だが結婚式時にわざわざ公爵の爵位を与えられている。
 もし日本がヨーロッパ流の皇位継承法を取り入れる場合、敗戦後廃止された華族制度を復活させることになり、国内の多くの旧華族復権を求める事態になりかねない。傍系継承が認められる日本では旧宮家のみを復権させたほうが混乱のリスクが小さいのだ。

 とわいえ王配はなぜ貴族から選ばれるのか?階級社会の闇と言えばそれまでだが、その理由を深く考察すれば女系継承のリスクが透けて見えて来る。
 ここで突然だがおとぎ話をしよう。一つ目は眠れる森の美女、二つ目は勇ましいチビの仕立て屋である。どちらも有名な物語であり詳細は割愛するが、この二つの話は王家への婿入りの例として考察できる恰好の教材である。
 一つ目の眠れる森の美女は魔女に呪われた一人っ子の王女が他国から来た王子に見染められる話だ。この場合、婿が王子なので国王夫妻は喜んで結婚を受け入れる。二つ目はチビと嘲笑される仕立て屋が、ハエを7匹殺した事がきっかけで召し抱えられて巨人を倒す話だ。召し抱えられた経緯はただの勘違いだが、その後の経歴で王女との結婚を勝ち取った。
 これらの物語から女性君主の配偶者として求められるものがはっきりしないだろうか。そう、器量と品格ばかりが求められる女性と違い、男性は地位と経歴が庶民の視点ですら重要視されるのだ。民間出身のお妃で形容される「シンデレラ」とは大きな違いである。そして地位が低ければ低いほど求められる経歴は大きくなる。王子はただ百年の呪いが解けた城に入っただけなのに対しちびの仕立て屋は巨人を倒す必要があった。

 実際に王となった平民の話を紹介する。18世紀から19世紀にかけてフランス革命ナポレオン戦争で軍人・政治家として活躍したジャン=バティスト・ジュール・ベルナドットである。彼は平民出身だが軍事と政治の手腕を買われて、当時後継者のいないスウェーデン国王カール13世の王位継承候補者の一人となった。傾国の最中にあったスウェーデン人達にとってそれは期待を集める出来事であり、議会採決時はストックホルム中を巻き込む狂騒だったという。そうして摂政王太子となったベルナドットは国民の期待に応えるようにスウェーデンを立て直し、ノルウェーを獲得するなど王国に大きく貢献した。そして1818年のカール13世の死去と共に晴れてスウェーデン国王に即位するに至る。彼は仕立て屋ではないが勇ましい経歴の持ち主である。

 仮に日本で女系継承が容認され、勇ましいチビの仕立て屋のように民間人が皇配(女性天皇の配偶者)として選ばれるようなことがあれば、その男性や親族に英雄とまではいかずとも立派な経歴が求められるのは想像に難くない。その証拠に近年眞子内親王殿下の婚約でも相手の家の内情が問題視された。皇籍を離れる前提の彼女さえこうならば、皇配選定はこれ以上の騒ぎとなろう。言い方は悪いが「なぜあんな男が逆玉に!?」と国民が納得しないのである。実際、先に述べた現在のスウェーデン王太子ヴィクトリアの配偶者ダニエルも実業家としては成功していたが、立派な経歴がないため交際当初に国民の反発を食らっている。時代が違うとはいえ、同じ平民出身でこんなにも違うのだ。
 求められる実績は何か?ベルナドットは軍事と政治の実績があった。芸能・特定の技能では関心を持つ層が限られてしまうので、幅広い層に影響を与え得る政治の分野が求められるかもしれない。だがそれは象徴としての天皇の在り方に甚大な影響を及ぼす。
 例えばとある有名政治家の御曹司が皇配に選ばれたとしよう。親が大きな実績を残したとなれば、ちょっとした政治的課題でマスメディアから発言を求められる可能性がある。この時、皇族なら自分の発言による影響を鑑みて自制するが、自分を売り込むことを信条にする政治家の息子なら安易な政治発言に走ってしまうだろう。それが波紋を広げ国政を揺るがしたとなれば、彼は自分の言葉の影響力に酔い、さらなる政治発言をして国政干渉を繰り返すかもしれない。そして皇配を輩出した家は名家として政界で確固たる地位を手に入れるだろう。それは女系継承推進者が求めている結果ではないはずだ。

 なにより歴史の教訓上、地位や名誉を実績で勝ち取って成りあがる男性は盛者必衰の理から逃れられない。つまり一時の覇道に権威を委ねた王家は時代の移り変わりと共に滅びゆく運命にあるのだ。ベルナドットの王朝は現在も続いているが彼のライバルにしてフランスの皇帝、ナポレオン朝は覇権戦争の末に没落してしまった。もし過去の皇室が豊臣氏や徳川氏の男児を婿として迎え入れていたら、時代の変化に煽られて滅んでいたかもしれない。

 最後に旧宮家復権への懐疑的意見に反論する。懐疑論者曰く一度民間におりた彼らはいくら旧宮家でも民間人に過ぎず、皇族としての地位に相応しい立ち振る舞いができるかという疑念である。だが、その懸念は女系継承で選定される皇配に対しても同じ事が言えよう。民間出身だからと言って大目に見られる道理はない。ダニエルもスウェーデン王室に相応しい教養を身に着けるために7年も勉強させられたのだ。ならば今から旧宮家の年少者に将来へ向けた教育を受けさせればいい。それから今上陛下や上皇陛下、もしくは秋篠宮殿下の養子に成る形で皇籍復帰させるのだ。

 古来より天皇は時の実力者に施政権を与え権力を分散させることで時代の変化を乗り越えてきた。明治憲法下での大権さえ二例しか行使なされていないのである。「君臨すれど統治せず」は今の象徴としての役割にも通じるものがある。その在り方を崩さない為にも野心溢れる他所の野郎など皇室に入れてはならないのだ。これは女性差別ではなく「男の覇者排除策」である。

 

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(10/27 本文中一部情報を追加、10/28 一部記述を削除、12/3 リンク添付)(2020/9/12 画像削除)